タルタロス・ドリーム死神編2


プリンスは久々に寝坊してしまい、魔物に構う暇が全くなかった。
遅刻ぎりぎりのところで教室に滑り込み、席に座る。
ほぼ同時に担任のジスロフが入ってきて、プリンスはほっとした。
一分でも遅れてしまえば、厳しく鋭い目で睨まれ、授業中に何度も当てられる。
そんなジスロフを恐れる生徒は多く、このクラスの遅刻者はめっきり減った。

寝坊して急いでいたせいで、今日のプリンスは魔物の素材を一つも持っていない。
これでは死神に会えないと、肩を落としていた。
せめて昼休み中に手に入れられないかと、校舎裏をうろつく。
そこで、校舎から少し外れたところに小屋があるのを見つけた。
何だろうと思い近づくと、ふいに肩を叩かれて叫びそうになった。


「やあ、プリンス。こんなところで会うなんて、奇遇だね・・・」
「せ、先生・・・あの小屋は何ですか?」
「あれは飼育小屋さ。入ってみるかい」
どんな怪生物がいるのかと、プリンスは興味津々で小屋に入る。
けれど、中にいたのはいたって普通の犬と兎だった。
よくなついているのか、動物達はさっと死神に駆け寄る。

「先生は、動物が好きなんですか?」
「生ある者は皆好きだよ。もちろん、君のこともね・・・」
「えっ・・・」
博愛主義の対象の一つでしかないのに、熱烈な言葉をかけられた気がして、ほんのりとプリンスの頬が染まる。

「今日は新しい子を拾ってきたんだよ。ほら、おいで・・・」
死神が呼び掛けると、小屋の奥から白い猫が姿を現わす。
猫は二人を見ると、死神ではなくプリンスの方に走ってきた。

「ひっ、お、お前は・・・」
「よく通学路で見かけるから、気になっていたんだよ」
白猫は、プリンスの足に身を寄せる。
死神がいるから卒倒はしなかったものの、冷や汗が背筋に流れていた。
「その子は君が好きみたいだね。名前をつけてあげるといい」
「な、名前・・・じゃあ、シロで・・・」
単純すぎる名前だが、こんな状況では、しゃれたことは考えられなかった。


「そうだ、プリンス、よかったら飼育部に入らないかい?君はこの子達と相性がよさそうだからね・・・」
「し、飼育部に入れば、素材がなくても先生に会えますか」
猫のせいで言葉の抑制が効かず、プリンスは恥ずかしげもなく尋ねる。
死神は一瞬だけ目を丸くしたけれど、すぐに平静な表情に戻った。
「もちろんだよ、時間が空いてるときにいつでもおいで」
「あ・・・ありがとう、ございます」
お礼と同時に、猫は嬉しそうに一声鳴き、プリンスを見上げていた。

放課後、プリンスは早速飼育小屋を訪れていた。
中にはすでに死神がいたので、安心して中に入る。
「おや、早速来てくれたんだね・・・」
「はい、先生に・・・動物達にも会いたかったんで」
猫がいない状態では、羞恥心が言葉を止めた。

「動物達の世話って、何をすればいいんですか?」
「ただ、一緒に遊んでやってくれればいいよ。この子達は、皆寂しがっていたからね・・・」
プリンスは、この動物達は皆捨てられていたのだと察する。
飼い主どころか両親にも会えない動物ばかりなのだと思うと、胸が痛んだ。

とりあえず撫でてやろうと、プリンスはしゃがみこむ。
そのとき、白猫が駆けてきて、腕に身を寄せてきた。
「わわっ」
突然出現した脅威に、プリンスは尻餅をつく。
猫はさっと跳躍し、背伸びをして顔を近付けた。
昨日以上の冷や汗が、背筋に流れる。
「その子は、君に構ってほしくて仕方ないようだね。よほど、寂しかったんだろう・・・」
プリンスは、この猫もみなし子だということを思い出す。
自分には弟がいるけれど、猫には他に誰もいない。
そう気付くと、どっと同情心が沸き上がってきて、冷や汗が少し引いていた。

プリンスは、こわごわと、慎重に猫の背を撫でる。
死神が手入れしたのか、毛並みは柔らかくて、温かかった。
猫は気持ち良さそうに喉を鳴らし、プリンスに擦り寄る。
猫が至近距離にいても、もう気を失うことはなかった。




その日の帰り道、プリンスは魔物とは違う気配を感じて振り返る。
一見何もいないように見えたけれど、足元に視線を移すと、黒猫が気配もなく座っていた。
一歩下がろうとする気持ちを抑え、その場に踏み留まる。
「・・・ん?お前、何くわえてるんだ?」
よく見ると、黒猫は一輪のたんぽぽを加えている。
プリンスがしゃがむと、猫はたんぽぽを差し出した。

「くれるのか?ありがと・・・」
プリンスがたんぽぽを受け取ると、猫はさっと駆けて行く。
構ってほしがりやな白猫とは正反対だなと、プリンスは面白く思っていた。


今日ももちろんプリンスは飼育小屋へ行く。
中に入るなり白猫が擦り寄ってきたけれど、慣れたのだろうか、もう冷や汗が出てこない。
「ふふ、その白猫を見ていると、昔飼っていた黒猫を思い出すよ」
黒猫、という単語にプリンスは反応する。

「飼っていた、って、今はもういないんですか?」
「ああ。逃げ出してしまってね・・・きっと、束縛しすぎたせいだと思う。あの子は、自由を望んでいたんだ」
プリンスは、たんぽぽをくれたあの猫のことを思い出す。
白猫とは正反対の、まるで一匹狼のような黒猫を。

「あの、オレ、その猫知ってるかもしれません。それで、今日、この花を貰ったんです」
プリンスがたんぽぽを差し出すと、死神ははっとした。
「その花は・・・確かに、あの子が好きだった花だ」
「やっぱり、そうだったんですか。この前、車に轢かれそうになってるところを助けたお礼だと思います」
「そうか・・・今もどこかで元気にしているんなら、よかった・・・」
そこで、死神は安心したようにふっと微笑む。
死神の笑顔を初めて見たプリンスは、瞬く間に目が離せなくなっていた。


じっと見ていると、死神がプリンスと視線を合わせる。
プリンスが慌てて視線を逸らすと、死神はその体をそっと抱きしめた。
「せ、先生」
「あの子を救ってくれて、ありがとう・・・」
これは、ただ感謝の意を示しているだけなのかと、プリンスは安心したような残念なような複雑な気持ちになった。
ただ、自分の体がすっかり包み込まれ、えもいわれぬ安心感を覚える。
青白くて不健康そうな見た目をしていても、その体温は確かに温かい。
こうして誰かに抱きしめられることなんてなかったからか、プリンスはうっとりとしていた。
あまり長い抱擁ではなく、すぐに離されてしまう。

「さあ、皆、ご飯の時間だよ・・・」
死神がそれぞれの餌を皿に空けると、動物達はさっと集まって来る。
プリンスは、急に温もりがなくなって物足りなさを感じていた。


動物達の食事が終わると、死神は犬の頭を撫でてやる。
犬は尻尾を振って、嬉しそうに鳴いた。
その様子を、プリンスはじっと見る。
自分がその犬に成り代われればいいのにと、そんなことを思いながら。
「今日は、そろそろ帰ろうか・・・」
「あ・・・はい」
プリンスは死神に続きて、飼育小屋を出る。
明日また会えるとは言え、名残惜しいものがあった。
小屋から離れないでいると、死神がゆっくりと手を伸ばし、プリンスの頭をそっと撫でた。

「え、あ、先生」
「あんなに見詰められていては、目を向けなくとも気付いてしまうよ・・・」
死神は、プリンスの髪を優しく撫で続ける。
そうやって優しくされると、プリンスの目は自然と細まっていた。
撫でられているだけでも、心地よくて、安心する。
気付けば、頭だけでなく、もっと他のところにも触れてほしいなんて、そんな願望まで出てきていた。


やがて、死神が手を引っ込める。
とたんに物寂しくなって、プリンスは死神をじっと見上げていた。
「オレ・・・先生に撫でられたり、抱きしめられたりすると安心する。
きっと、動物達も同じなんだろうな・・・」
「そうかい・・・光栄な言葉だ」
プリンスが一歩、死神へ近づく。
死神はプリンスの頬へ手を伸ばしたけれど、その手は触れる前に下ろされた。

「さあ、もう帰らないと。全てが闇に覆われてしまう前に・・・」
死神は背を向け、歩いて行ってしまう。
プリンスは、自分の思いに戸惑いながらも、死神を見送っていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
生徒と教師、ということで少し戸惑わせてみました・・・が、最終的にはいかがわしくなります。いつものことですね。